2018年01月19日

【#本日の一枚】ベートーヴェン: 交響曲第9番ニ短調《合唱付き》op.125 / ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

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実は昨年末ちょっとしたマイブームがあって、出勤退勤時間のおおよそ1時間の間ひたすら日替わりで異演の第九を聴くということを繰り返していました。

そう、年末といえば第九。
由来に諸説あれど日本人にこれだけ愛されている曲というのも他にはなかなかありませんが、それと同程度に同曲異演盤が多いのもこの曲を措いて他にはないでしょう。

ということでクラシックこじらせヲタなら避けて通れぬ登竜門、フルトヴェングラー第9聴き比べ大会をやってみました。

「バイロイトの第九」として名高いものが有名ですが実は他にもかなり録音が残っており、そもそもバイロイトの第九も2種類あるし、新しいマスターは見つかるわリイシューも多いわでなかなかとっつきづらいというのが正直なところ。
今回は最近大好きな歴史的録音レーベル: Archipelとorfeoからこちらの6枚を。

CDの長さが74分になったのはフルトヴェングラーの第九が一枚に収まるようにという説もあるくらい、歴史的にもこの指揮者とこの楽曲というのは影響力があったのだなと再確認。

これは音楽を聴くだけじゃない、歴史を感じるんだ(どやぁぁぁ

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◆右下: 1937年 ベルリンフィル
録音年としては僕の知る限り最古のフルトヴェングラー第九。
録音はなかなか厳しいものがありますがかなり面白い。最後の発狂具合は一瞬目を開いた。

◆左上: 1942年 ヒトラー生誕記念前夜祭
この音楽が戦時中にあることを意識させられる貴重盤。演奏としてはそんなに悪くはない。が神懸かってるというよりはオーソドックスな演奏で聴きやすい印象。相変わらず最後はヤケ笑。

◆中央上: 1951年 バイロイト音楽祭
世に言う「バイロイトの第九」はorfeoレーベルから。第1楽章がブルックナーよろしく幻霧から開始し堂々とした貫禄ある名演。神格化されるのも納得なロマンティックさである。ちなみに盤によっては御大の足音も入っておりそれで泣けるとか泣けないとか。

◆左下: 1953年 ウィーンフィル ニコライの第九
バイロイト、ルツェルンなどに並びファンの中では人気のある「ニコライの第九」。バイロイトを経ているのでフルヴェン第九の良さは安定している。個人的には第3楽章のテンポ感がなんとなく好みな印象。

◆中央: 1954年 バイロイト音楽祭 リハ付
世に言う「"もう一つ"のバイロイトの第九」。
評論家: 吉田秀和が実際に聴き最高の管弦楽体験と称した名演。録音がそこまで良くない盤だがスケルツォの貫禄と終曲の爆音の対比が逆に面白い。orfeoレーベルから出ているのはこの演奏の最高リマスタリングということでそれも聴いてみたい。

◆右上: 1954年 ルツェルン音楽祭
現存する最後のフルトヴェングラーの第九ということもあり晩年の最高峰の演奏とも称される「ルツェルンの第九」。スケルツォは一番スケルツォ的に激しい。
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2018年01月18日

【#本日の一枚】The Lower Depth / Charlemagne Palestine

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ミニマル・ミュージックといえばライヒやテリー・ライリー、ラモンテヤングとかグラスあたりが有名だが、60-70年代のミニマル黎明期を支えたもう1人の巨匠がいる。シャルルマーニュ・パレスティン。
1974年にリリースされた、残響ペダルを踏みっぱなしでピアノをかき鳴らす「Strumming Music」はミニマル音楽の名盤とも評され独特な方向でこの音楽をもり立てた。

そんな彼のピアノによるミニマル音楽の未発表音源集がこのThe Lower Depth。
前述のアルバムをリリースした同時期、その少し後である1977年の3日間に及ぶレコーディング。
ただひたすらにトレモロが残響と合わさり"膨大な"音空間を生成する。

ミニマル・ミュージックの魅力は、「少しずつ少しずつ有機的に変容していく音楽によって気づかないうちに無限に広がる音地獄に叩き落とされているところ」にあると思う。
最初は「よくまぁこんなトレモロ強打音やって腕もつなぁ」なんてくだらないことを思ってたが、音が増え和音が変わり気づかぬうちにこの瞑想状態に叩き落とされていた。
ピアノでここまでできるのかと身震いすら起こる。

ふとDIYドローンなんて言葉が浮かぶ。
ただひたすらにピアノの連打音と残響だけで構成されるというミニマルさと、出来上がった音壁の厚さ。恍惚の1時間×3を産んでいるとは俄かに信じがたい。
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2018年01月15日

【#本日の一枚】僕だけの君 〜Under Super Best〜 / 乃木坂46

久しぶりに【#本日の一枚】でも再開しようかと。

2018年最初はこれ。
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アンダー曲だけ集めたコンセプトベストとでも形容できるアルバム。
一見選抜落ちと捉えられがちな乃木坂アンダーの歴代の楽曲、新曲、映像を収めている。

とりあえず大作である。

シングルのc/wとして必ず収録されていたアンダー楽曲が並ぶだけで乃木坂のもう一つの歴史を感じられ、ここにもドラマ性を見出そうとするファンの執念と貢献の集大成である。

ライヴ映像のベストセレクションは、初期はガラガラだったという最初期から武道館・全国ツアーまで進化したアンダーライヴの歴史を辿る。
初期は舞台装置もパフォーマンスも「うーん」と思えたものが数年でここまでになるとは感動すら覚える。

しかしこのアルバムの口コミや前評判を見ていると素晴らしいファンに囲まれていたんだなぁとそっちでも感慨深くなる。
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2017年12月31日

さよなら2017、こんにちは2018

2017年もなかなか楽しかったです。
意外に今年も活動ができて結構曲も創れた気がします。

2月のフココレの果樹園組曲。「Walkure!」は今後も弾き続けたい。


7月はフココレでお世話になっているおはなさん生誕祭に捧げる「花は勁し」。


そして11月の緊縛夜話の「Uterus」。


さらにシアトロンやベートーヴェンなど楽しかった日々です。

身毒丸やSHAZNA観に行ったり、Pink Floyd回顧展のためにロンドンへ、欅坂46ポスター巡りに京都にと外にも出たこの一年。

2018年も2017年に負けないよう活動しよう。

くらいを抱負にしとけば守れる気がするのでそれを胸に年を越そう。

良いお年を。
posted by Lobgesang / Blog at 23:37| 神奈川 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月20日

泡雪屋に寄せて -劇伴とそれに思うこと

泡雪屋散楽譚ご来場ありがとうございました。
本当に楽しい舞台でした。
音楽が、ピアノが彩りを添えられたのならば恐悦、感無量です。

さて昨年もやった、というか個人的な仕事として、
彩りを添えた音楽はまとめて、供養するということをするのですが今年も。


Uterus, Ballade romantique No.2
泡雪屋散楽譚劇伴による独奏用ピアノ小品

0:00〜: 1st Mov.Uterus
5:08〜: 2nd Mov.Mille-feuille
10:11〜: 3rd Mov.JigokuEzu - Uterus(Reprise)
15:48〜: Postlude,"Hello World"


本作の音楽ですが、歌曲は作詞作曲を北條華生、その編曲と劇伴を僕が担当しております。
最近劇伴ってどうやってやるの?と聞かれることが多くなったのでそれについて書きたいなと思います。
ちなみについ最近まで劇伴を「げきはん」って読んでました。
「げきばん」ですね。

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基本的に、というより当然の前提ですが、僕は劇伴はもちろん主役ではないと思っています。
しかしこれはアンビエントであって、アンビエントではないものでもあると考えています。

様々な音楽が溢れている現在だからこそ、今のエンタメにはまるで共感覚のように色々な事象に音楽が付されています。
楽しくても悲しくても、時には感情を排しているのに音がなっていることも多々あります。
劇伴とは無限に解釈のできるその"空気"に、一つの方向性を呈示すること。
音楽がなくてもそれは成立はし得る、しかし"その"音楽が存在しなければ"この"空気は生まれない。
劇伴とはかく得るべきだと考えています。

僕は基本的に劇伴を演る場合は楽譜は見ません。
というより台本・脚本が楽譜の代わりになります。
舞台は生き物です。
決められた尺がコンマ秒の狂いなく再現されることなんてまずあり得ません。
複数の演出パターン、観客の反応、演者の"気持"が複雑系に絡んでその舞台の空気を生んでいるのです。
であるならばむしろ全ての小節が決められた曲を演奏することは不可能であり、逆にそれを目指すことはナンセンスであると考えています。

楽器が置けない舞台では、録音の音楽を使われます。
僕も録音で提供することはなくはないですが、
この場合音楽は有効的に使われていたとしても、有機的に使われることはまずあり得ないのです。
録音された・再現された音楽とは舞台の"都合"を少しも考慮しないのですから。

つまりその瞬間瞬間の演技に合わせていかねばならない。
劇伴に求められることとはそう言うことなのではないかと僕は考えます。

「では全て即興なのか?」
即興性は必要ではあるのですが全てが即興ではありません。
そこで僕が考える音楽原理「変容(Variation)と再現(Refrain)」が登場します。
音楽(に限らず創作物全てですが)を構成する大きな要素はこの二つだと考えています。
片方だけでは成立せず、この二者の仕方・バランスが創作物の良し悪しを確定するのです。
たとえばソナタ形式や変奏曲がわかりやすいでしょう。
ソナタでは展開部という徹底的な変容の後に圧倒的な再現をすることでメリハリのつく音楽を構築します。
一方で変奏曲とは主題の再現と変容を同時に行い発展していく音楽です。
逆に変容だけが起こる音楽があったとすると、鑑賞者にとって「変容すること=通常のこと」と捉えられ、マクロで見ると「"変容し"続けている」だけの音楽となり単調となります。
鑑賞者が「変容と再現」を多様に知覚できる音楽でなくては面白いものではなくなるのです。

では統一性のない即興での劇伴ではどうなるか。
知覚しにくい「音がただ鳴っている」だけになり、もうそれは音楽とは呼べないのです。
だから僕は主題動機を最小限にするという手法をとります。
クラシック音楽創作でいう「主題労作」をその場で行うのです。

今回のUterusは各楽章冒頭の3つの主題動機で構成され、空気を作り出す時は基本的にこの3つの主題を基に展開しています。
緊縛という視覚要素と"空気創生力"が極めて強い因子が働く場面では、音楽は構成力と同程度の空気創生力を持たねばなりません。
だから僕は第1楽章冒頭の「AHCGHA」という動機を基軸にその場の空気にあわせ即興を展開します。
これは時に30秒の時もあれば30分近く弾く必要があるときもあります。
しかし主題と空気さえ決まっていればいくらでも対応できるのです。

これが僕の劇伴です。
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第1楽章「Uterus」の基本主題は今回のオファーをいただいた時に絶対入れようと思った、「僕の中で最も強い主題」でした。音列もさることながらその汎用性の高さこそこの使用用途に向いていると考え、様々なところで実験・実践を行いました。
だからこそ乱発した時にその効力を失うと考え、客入れと最終シーンのみに使用を限定し「最初と最後」という最も強い部分で使用しました。

第2楽章「Mille-feuille」は物語中盤までの第1クライマックスに使用しました。
並列して進行する多数の不幸を表現すべくロンド形式を意識し《さよなら果樹園》組曲からの引用をも行いました。これは不幸の多層構造、すなわちミルフィーユなのです。

第3楽章主題「ED-DC-CH-HA」は僕がこの脚本を読んだ時に感じた「地獄絵図」の音像化でした。
これは地獄。だけど辛い地獄ではない、美しい地獄。
「あんっハッピー」のコンセプトに相応しい演出に応えられるよう、最もアンビエントで最もドラマティックな音楽です。
これは第2クライマックスを構築し、最終クライマックスの「Uterus(Reprise)」に引き継がれます。
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今回この楽曲には個人的に主観を込めた「後奏」を付しました。
あくまでも「個人的な」想いです。
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今回録音したこの楽曲はあくまでも録音した瞬間の姿です。
おそらくまた再演することがあれば主題動機以外はまた変わってくるでしょう。
演出や状況によっては構成すら変わるかもしれません。

それでも構わないのです。
劇伴とは極めて強い目的意識を持った音楽であり、これは「要素」なのです。
アンビエントという日常を添える音楽と、その対極にある非日常を支える劇伴。
僕はこの二つに心の底から惚れ込んでいるのかもしれません。
posted by Lobgesang / Blog at 01:21| 神奈川 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする